
date: 2008年02月29日 | text : N島 縦 |RSS|
高木敏光が、やってくる。
仕事でやってくるのではない。
転居である。お引越しである。棲み処を東京に移すのである。
今後、小説家としての感性を研ぎ澄ますため、多くの文人が愛し、豊穣な文学性を有する多摩の地に、居を構えるのだ。
(と、俺は理由を勝手に推察している)
俺らの立っている球体が、電脳ネットですっぽりと覆われてしまったこの世紀だ。
彼のようなサイバー空間のコンテンツ業をやる人間にとっては、仕事をするのに住んでいる場所は関係ない。
流氷を望む最果ての網走だろうが、マンゴー食べ放題・昼寝し放題の宮古島であろうが、ネット回線1本さえあれば、仕事は成り立つ。
早い話が、引きこもりニートが部屋から一歩も出ずパソコン画面をクリックするだけで、行ったこともないベトナムや南アフリカに投資をして、数日で大きな利益を上げてしまうような時代なのだ。
もちろん、人の顔色や体温をみる客商売は別だろうが。
そういう意味では、この新宿・歌舞伎町という魑魅魍魎の巣食う歓楽地帯に特化した俺の商売というのは、ものすごくアナログな営みなのだろう。
だが俺は、ここみたいに曖昧で、猥雑で、柔らかくて、混沌として、何が出るかわからない、ゴッタ煮みたいな世界が、好きだ。
匂いとか、肌触りとか、目に灼きつくものとか、なんとなく感じる危険の予兆とか、自分の身体や毛穴で呼吸して感じ取ることの出来るものを、俺は愛するし、そういうものしか信じない。
どんなにTVモニターのリア・ディゾンやジェシカ・アルバが可愛くてセクシーでも、実際に会って触れられなければ、俺には意味がない。
だから、生身のI川今日子に未だ会っていない俺は、とても心許無く、気持ちが悪かった。
——と、まるで俺の思考回路を見透かしたかのように、I川今日子から電話がきた。
「タテさーん!!すごいですっ。例の小説パイロット版、応募者が多くて抽選が大変ですよう!」
「………」
「こんなにたくさん来るなんて、予想はしてたけど……あらためて、びっくり!」
「……そっか。そいつはよかったな。」
「3月3日の締切り、早めちゃったら、みんな怒りますよね?」
「さぁ、なー」
「……あれ?タテさん、どしたの? ゴキゲン悪そう……?」
「……ゼミ」
「あっ……」
「来なかったじゃねえか、人を呼びつけておいて、よ」
「そう、そう!そうだったわ」
「そうだったわ、じゃねえよ」
しばしの沈黙。
「……タテさん、本当に、ごめんなさいね」
一転して、I川今日子は、心底申し訳なさそうに謝った。
「あの日、私、急にお客様に呼ばれてミッドタウンのパーティに行くことになっちゃって……」
「パーティ?……って、この前もそんなこと言ってたけどなぁ。I川ってパニヨンでもやってんのか?」
そんな訳ぁないのだが、敢えて嫌味を言いたくなる。
「ううん。私はふだんPRのお仕事をしているのです。あの日は担当している服飾ブランドの新作披露パーティがあって。上司が出席することになってたから、私は作家養成ゼミを優先するつもりだったのだけど」
「けど?」
「クライアントの役員サンが、私のことをとっても気に入ってくれてて、I川を必ず連れて来るように、と上司が言われたらしいの」
「ご指名、ってわけか」
「ウチ(の会社)としては大きな商談になるので、上司も離してくれなくて。……で、隙を見て抜け出そうとしたんだけど、結局パーティ後の打ち上げにもぜひ来てくれ、と……」
「そのころ俺は、ブクロの居酒屋で湯豆腐だ」
「で、上司と二人で役員サンにお付き合いしたら…」
「うむ」
「打ち上げ、って言ってたのに、とてもこぢんまりした雰囲気のいい料亭の個室で、来ていたのはその役員さんと若い部下の人ひとりだけ」
「らら」
「で、すっごく美味しい河豚しゃぶなんかを食べて他愛もない話をしてたんですけど、上司がふと席を外した時に、役員サンが急に真顔で『I川クン、君はウチの洋服が好きか?』って訊くんです」
「おう」
「で、『もちろん大好きです!この仕事をする前から、もともと憧れのブランドで今回もモーレツに志望して、担当させてもらったんです』って、それは嘘じゃないから、言ったんです」
「ふむ」
「そうしたら『そろそろ夏物が欲しくないか?‘おーたむ’も‘ういんたー’も、今から全部、見せてあげる』っておっしゃって」
「おお」
「意味がわからなくてポカンとしてる私の手を引っ張って、いきなりそのお店を出ちゃったんです」
「んんー。他の二人は?」
「役員サンの部下は、特に驚きもせず座敷でお辞儀をして見送っていました。あたしの上司は、まだ御手洗から戻って無くて」
「うあ」
「困ります、って私は言ったんですけど『君には、ちゃんと見せておきたいんだ。もっとウチのラインナップを細部まで知ってもらわなきゃ、本当のPRはできない』って」
「あんだぁ、それ?」
「で、お店を出たところで黒塗りのプレジデントに乗せられたんです」
「あちゃー」
「発車するとき、ふとシートから振り返ると、料亭の生垣の向こうであたしの上司が手を振って、にっこりと立っていたんです」
「なんだと!」
「うわー、あたしって、ハメられたのー?」
話を聞いてる俺が、なぜだかドキドキしてきちまった。
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