
date: 2008年03月28日 | text : N島 縦 |RSS|
これは、いったいどういうことだ?
俺は、不可解でモヤモヤした気持ちを抱えながら、だらりと両手を落とし事務所へと戻るしかなかった。
気が付くと、サンダルを両方とも脱ぎ捨てており、俺は裸足だった。
室内に入るなり、俺は携帯を手に取り電話をした。
俺は、I川今日子の携帯番号というものを知らない。
唯一知っているのは、例の050から始まるIP電話の番号だ。
これだけは携帯にも登録してあった。
5回のコールの後、初めて聞くI 川の留守電メッセージが流れた。
「はい。お電話ありがとうございます。クリムゾン・ルーム製作委員会です。ご用のかたはメッセージとお電話番号をおいれください。折り返しこちらから、お電話いたします………ピーッ……」
溶ろけるようないい声だ……
と、聞き惚れている場合じゃない。
俺は、反射的にそのまま切ろうとしたが、思い留まり、口を開いた。
「N島縦、だ。クリムゾン・ルームの本、今日届いたよ。ありがとな。……だが、届けてくれたのは、いったい誰なんだ?」
反応のない虚空に向かって、早口で言い捨てた。
俺は冷蔵庫からクアーズを出し、缶のままあおった。
喉に、炭酸と、淡い香りが染み渡った。
……人心地がついて、俺はもういちど考えを整理してみた。
まず、今のIP電話に出なかったということは、I川今日子が外出中ということであり、さっき目撃したあの女がI川かもしれない、という可能性が増したということになるのか?
──いや、外出中だとしても、電話を携帯に転送すれば出られる。
実際以前、彼女は
「転送設定にしてるから、この番号にいつでもかけてね」
と言っていたのだ。
本当に俺を欺こうとしているのなら(なんの為に?)、むしろ携帯に転送された電話に、何食わぬ風に出て「あっ、タテさーん」と、いつものように会話をしたほうが完璧だ。
さっきの女がI川なら、電話に出て、そういう芝居を打つヒマは充分にあるはずだ。
と、いうことは、I川はやはり本当に電話に出られない状態にある、と見るほうが正しいかもしれない。
つまり本業のPR会社の仕事で、商談中とか、会議中とか。
だが、そもそもこのIP電話番号ってのは、どこに存在している電話なんだ?
I川の勤める会社内で、そんな電話が引けるとは思えない。
本業の仕事と、『クリムゾンルーム』の活動は、今のところ全然、関係ないはずだ。
だから、俺はいままでは《『クリムゾン・ルーム』製作委員会》の事務所や電話というのはI川個人の自宅を、その本拠地としているのだろう、と考えていた。
いつも送ってくる(直接届けられている?)送付物の封筒には、差出元の住所の記載は、一切ない。
じゃあ、彼女の自宅というのはどこにあるのか?
それに勤務先の会社は、どこのなんていう会社なんだ?
──俺は、あまりにI川今日子の情報を知らないことに、今さらながら呆れた。
これは、いくらなんでも不自然だ。
不自然であっても、それをなんとも思わず放置してきた。
生身の人間に対して深い感情を持たないような、そんな感性の持ち主に俺はなってしまったのだろうか?
仕事で神経をすり減らす分、俺はプライベートではここ数年、あまりモノゴトや人との関わりに頓着しない性格になっていた。
そもそも今の俺は、世間並みのプライベートなんてモンは、少しも持ち合わせていない。本当の意味での過去や経歴、濃い人間関係、係累といったものは、いろいろと事が起こってしまい、いろんな土地を流れ流れ漂泊の身となってからというもの、封印して記憶の彼方に意図的に追いやってしまった。
今の俺は、と言えば、仕事をして、息を抜いて、仕事をして、メシを食って、寝て、排泄して、ちょっと酒を飲んで、仕事をして、ということを、ただ繰返しているのに過ぎない。仕事する街も住む街も一緒、オフィスも寝ぐらも一緒、家庭的な生活感など、微塵もない。誰かに期待して、心を預けたり、預けられたり、或いは、頼ったり、頼られたりもしない。いっときでも俺と居たいヤツは、そばにいればいい。去っていきたければ去るがいい。
深いところでの責任とか義務とかを、いっさい回避して、独りで生きている。
──それが俺だ。
いったい、なんの為に?
俺は、虚ろな眼で、机に投げ出してあった出来たばかりの小説「クリムゾン・ルーム」を手にとり、適当なところから開いて、読み始めた。
ここにも、‘何かを’失くしてしまった男がいる。
彼は失くした何かを自分で判っていて、夜の巷を彷徨っているのだろうか?
何を求めているのか?
主人公には判っているのか?
クリエイション?創造の神?
それがあれば彼は幸福になれるのか?
では、俺には何があれば、満たされるのだろうか?
俺、N島という人間は、ひとり気ままな‘自由’を気取っているつもりで、実は、この新宿の片隅で閉じ込められてしまっているのではないのか?
決して赤くはない部屋で。
──おっとっと。
あまりに昼の事件が、不条理だったんで、哲学的な思索に入ってしまった。
ふーっ。
……ええっと、こういう日の解決策は、と。
新宿西教会に行ってお祈りと懺悔を……という訳もなく。
俺は仕事をサボって、夕方からキャバクラへ出かけた。
キラキラしたLEDのイルミネーションとミラーに反射したスパンコールの下着のディスプレイが眼にイタイ。
「いらっしゃいませ……おや」
入り口の黒服がニヤリと笑う
「きゃー、タテさーん! ひさしぶり〜!!」
ルイに、いきなり横から抱きつかれた。
丈がやたらと短くて、お腹がまる見えのレモンイエローのビスチェから、はみ出しそうな胸の感触が俺の腕を圧迫した。
やはり、コレしかないナ。解決できない悩みを忘れるには。
「おうおうおう! わかった、わかった、ルイ。昨日、会ったばかりじゃねえか」
「どしたのー? タテさん、今日はすごいラフな格好しちゃってカワユス!」
「今日は、仕事じゃねえんだ。客で来た」
「わーい。じゃ、ゆっくり出来るのね〜〜」
「まーな。ワンセットくらいはなー」
ルイは、フリルのぎっしりついたミニから露わになった長い脚で、大またにリズムよく歩いていくと、一番奥の店内全体が見渡せる席に案内してくれた。
セクシー・キャバクラ「バナナ・メロン」はウチの店だ。
といってもオーナーは別にいて、俺の会社が、営業と運営を任されているだけだ。
売上のかなりの%を持っていかれるのだが、それでも、ココの収益は悪くない。
前代の社長が消えてから、俺が代行して3ヶ月ほど店長をやっていたのだが、その間に売上は1.5倍になった。
あまりに楽しすぎて他の仕事が出来ないので、俺は以前からよく遊んでいた店で懇意にしていた弟分で、凄腕のスカウトマンを倍の給料で引っ張ってやり、店を任せてある。
俺が店長時代に面接して採用した娘達は、お店での残留率が高いのが自慢のひとつだ。いまでも8人くらいは残って活躍しており、その中の2人は、お店のNo.2とNo.3だ。
ルイはその中でも最古参で、もうかれこれ10ヶ月は勤めてくれている。
栃木県小山市の出身で、某大学の3年生。
要領がメチャメチャよくて既に外資系の金融会社に就職先も決まっているらしい。
スタイルはさっき言ったとおりだし、貌だって悪くない。
テーブルにボトルやチャームのセットを整え、ツメシボを渡してくれながら
「ねぇねぇ〜、知ってるぅ?日曜の人気アニメ『ハヤテのごとく』って」
「知らんな。俺はアニメは‘鬼太郎’と‘ちびまるこ’しか知らん」
「ダメねぇ。こないだの放送で、ゲーム『CRIMSON ROOM』のこと、言ってたのよ」
「えっ。そうなのか?」
「ウン。部屋に閉じ込められて『こういう‘CRIMSON ROOM系’の脱出ゲームの場合は……』ってセリフで」
「パロディになってるのか?」
「そう。‘ハヤテ’は、もともとそういうパロと引用満載で成り立ってるアニメなの」
「へえ。相変わらず詳しいな、おまえ」
「へへっ、見つけてあたし、偉いでしょ?」
彼女のもうひとつの特徴は‘女オタク’なのだ。
その守備範囲はアニメ、コスチューム、フィギュアから小説・映画・美術と幅広い。
ネット版のゲーム「CRIMSON ROOM」を含めた脱出4部作は、俺に出会うずっと前から経験済みだし、堀内三佳のマンガも読破していたので、俺が高木敏光の友人だということを知ったときは、アニメの美少女キャラよろしく地上5センチくらい跳び上がって、眼をパチクリさせていたのだ。
「ねぇ、ねぇ、それで高木サン、いつ連れて来てくれるのぉ?」
「おいおい、いきなり他の男の話かよ」
「だってぇ、今年の初めからずっと言ってるくせに、今度連れて来る、って」
「ヤツはな、こういう安っぽい店には来ないんだよ」
「ひっどーい!安っぽいって、どーゆーことよ」
「おっと、冗談、冗談。ココは自分の店だったな。俺は、こういうヤスいのがいいんだ」
「じゃあ、あたし来週から銀座か六本木のクラブに移籍するわ。これでも、お客さんから誘われてるんだから」
「ちょっと、待った! それは困る」
「《黒真珠》みたいなクラブに移ったら、ファンレターと一緒に自分で招待状出すわ、高木さんに」
「うわ〜。ルイがいなくなったら俺は寂しくて、生きて、いけなぁーいぃー」
「きゃはは。そーでしょう?わかったら、呑みなさい、ほら」
随分前に入れた俺のボトルから、焼酎をゲスタンになみなみ注いで、渡される。
「お前も、なんか飲め」
「はーい、いっただっきまぁ〜す! カシスオレンジ、お願いしま〜す」
ルイはフロアの男のスタッフにオーダーし、それを合図のように、最近入った新人の女の子達が3人いっぺんに俺の卓に登場してきた。
あっという間に、擬似ハーレムの完成だ。
「おじゃましまぁ〜す」
時間もまだ早いせいで、女の子は、みんな空いているのだ。
みんな若く、それぞれに可愛くセクシーだ。
俺への‘顔見せ’の意味もあるのだろう。
スカウトあがりの店長、いい仕事してるじゃねえか。
「おらおらー、みんな飲んじゃってー」
「ハーーイ!!」
一斉の返事が気持ちいい。
儀式化された、カラダと精神の昂揚にスイッチが入る。
夜の世界のエンジンが回り始め、俺は実存的な探求など忘れ、カクテルと肌の露出とバカ話に酔うにまかせていった。
今晩は、これでイイ。
こうでなきゃ、N島はこの街で生きていけない……。
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