
date: 2008年04月04日 | text : N島 縦 |RSS|
さあ、ついに。
この日が来た。
4月3日、高木敏光の小説は世に放たれた。
暖かく穏やかな春の日のことである。
俺は午前の睡眠から目覚めると、いくつかの書類を作成した後、少し早めに事務所を出て二丁目交差点のタリーズに寄った。
グランデサイズのコーヒーに、カプレーゼをパクついて、しばし今日の仕事の段取りを考えた。
早く、書店で「クリムゾン・ルーム」を見たい。
が、あまり早く行き過ぎても、まだ店頭に並んでいない可能性がある。
……ふふ。
いったい何故、こんなに気になるんだろうな。
自分のことでもないのに……。
ここ数ヶ月の経緯で、俺にとって既にこの作品が、自分の身内や家族みたいに感じてしまっているのだろうか?
あまりに深く関わり過ぎたか……?
俺は、賃料を滞納している店子の本社に内容証明便を郵送するために、新宿西口の本局に赴いた。本社に行っても社長がちっとも姿を見せない為、夕方、大田区にある社長の自宅を訪ねてみるつもりだった。
帰り道、小滝橋通りに面したH書店に寄ってみた。
が、まだ「クリムゾン・ルーム」は入荷していなかった。
そこから俺は、新宿近辺の数件の本屋に寄ってみるつもりだった。
南口に回り、ファッションビル内のワンフロアをしめるF書店へ。
──あった!
新刊書の中に今はもう見慣れた‘赤い本’が7冊ほど平積みとなっている。
これは、俺が思い描いていた通りの映像だった。
携帯で写真を撮る。
そして、よく語られる、非常にベタな作為を施してみた。
「クリムゾン・ルーム」の平積みの上からを2冊ほど手にとって、左右の本の、いちばん上においてしまうのである。
下になって隠れた本は、ゴメンなさい、だ。
こんなことをやっても、どうせ書店員が見ればすぐに元の位置に直してしまうだろう。
高木敏光よ、この健気な行為を見て、涙を流せ……。

次は、旧大手百貨店ビルのJ書店。3フロアをぶち抜いた大規模書店である。
エレベーターを降り文芸書のコーナーを目指す。
ここは、まるで大きな図書館みたいに書架が並び、本の種類がありすぎて、却って探しにくい。
敢えて、自分で探すのを早々に放棄して、俺は書店員さんを掴まえた。
「高木敏光という作家の『クリムゾン・ルーム』という本、探してるんだけど」
店のロゴの入ったエプロンを見に着け、後ろで髪を縛り眼鏡をかけてたチャーミングな女性店員は、作業の手を止め
「ああ。それなら、こちらですよ」
と、すぐに俺を案内してくれた。
「ありがとう、サンキュー」
俺がウィンクで礼を返すと彼女は、事務的な表情を崩し、一瞬、素が現れた微笑を浮かべたが、すたすたと元の位置に帰っていった。
ふむ。書店員の認知度も高いようだ。
ここでは、膝もとの位置の平積みではなく、書棚に、背表紙ではなく表ジャケットを見せて陳列しているコーナーに、それはあった。
「クリムゾン・ルーム」は、ちょうど目線の高さに配置され、1段につき7冊並べられた文芸書籍の、左右から4冊目、ちょうど真ん中の位置に置かれていた。
身長173センチの俺の目線から、まさに目の前にあった。
悪くない。
同じ段の右横の本は瀬名秀明氏、左側の1冊おいて隣は、筒井康隆先生の著作だった。
「高木、見たら感涙するだろうなぁ」
当の著者、高木敏光はというと、さっそく取材などが入っており、本日は各媒体機関を終日訪れているようで、多忙の様子である。


俺は表に出て新宿通りを歩きながら、携帯電話の時計を見た。
あと1店、寄る時間があるか、どうか。
「タテさぁーん!」
そのとき、後ろから黄色い声が俺の名を呼んだ。
振り返ると、人混みをかき分けて、ルイが小走りにやってくる。
透け素材のピンクの半袖ブラウスに、白いショーパンからカモシカのような長い脚を誇示している。
「きゃー、こんなとこで会うなんて。ね、お茶しようよ」
「なんだ、ルイか」
「あー! もう。なんだ、はないでしょう!? こないだの熱い夜を忘れたの?」
「んー? 店で豪遊して、滅多に出ないシャンパンとフルーツ盛を頼んだだけじゃねか。読者が誤解するような物言いはすんなよ、な」
「えー?読者ってなによ。だって、タテさん、言ってたよ。俺はおまえの可愛いさに気づいた、これからは大切にする、って」
「……まったく、覚えてない」
「ひどぉい!」
と言いながらルイも笑っている。
「……おまえなぁ、これって逆だろ? 逆! キャバ嬢であるおまえが、男をその気にさせるんだよ。そんで『ルイってもしかして俺に気があんの?』と思わせて、客に通わせるんだろ?お前が俺のたわ言に酔ってて、どーすんだよ」
「えー、だってルイ、そういうキャラじゃないしー」
「ああん?」
「ルイは、基本、なんでも正直に言っちゃうんだよ。嘘つけない。それがイイって言ってくれるお客さんもいっぱいいるよ」
「わぁーってるって。でもおまえ、俺の言ってることは、いちおう基本なのよ、キャバ嬢の基本。それを押えてやったら、もっとイイ線いくんだけどなぁ〜」
ルイは頭のいい娘である。最初からそういう意図を持って接客に励めば、店でもベスト3に入ることは、間違いないのだ。
「別にイイもーん。今のままで充分、あたし楽しいし。コレを一生の仕事にするわけじゃないし」
「そりゃ、そうだけどサ」
歩道の真ん中で大声で話していると、デルモ張りのスタイルのルイと俺を、通り過ぎる人々がじろじろと見ていった。
「ところで、今日は買い物か?」
「あっ、そうそう。あたしね、今K書店に行って来たの」
「俺、これから行こうと思ってたんだぜ」
「一緒に、行けばよかったネッ」
「で?」
「あ、ウン。高木さんの本、探しに来たのね。そうしたら小説のコーナーに全っ然なくて」
「なに?」
「で、書店員さんに訊いたら、パソコンのデータベース開いて『あー、それなら別フロアのゲームコーナーに置いてあります、って!』
「あらら」
「で、あたしね『これは未来の文豪の処女作なんだから、こっちに置かなきゃダメ! ほらココのS庭K樹さんとか、Y田S一さんとかの真横に!って……』
「……そしたら?」
「そしたら、憮然とした顔で『はぁ』とか言ってるから、『そんな漫然と仕事してちゃ、出世しないよ! ……もっと自分の仕事を愛しなさい! 情報のアンテナを張りなさい!』って言ってやったの」
「がはは」
「一瞬、辺りがシーンとして、店の人や周りのお客さん、半径10メートルの人の視線があたしに集中……」
「恥ずかしかったか?」
「ううん、気持ちよかったわ。あたしの脚をじろじろ見てるオッサンがいたから『なに見てんのよ! スケベ親父! お金もらうわよ!!』って」
「かっかっか」
「で、結局ゲーム本のコーナーに行って、置いてあった『クリムゾン・ルーム』5冊全部買ったわ」
「どおりでそんな重そうな袋を。そんなにどうすんだよ?」
「‘バナ・メロ’に持っていって、私のお客さんに売るわ」
「うへ」
「あたしからなら、たぶん2,000円でも買うわね」
「キスマークをつけてやれ」
「いやよ。そんなら5,000円だわ。あたしのサインで充分よ」
「なんで高木の本に、おまえのサインがあるんだよ」
「あっ! そうだ、高木さんのサイン欲しいいー! お願い、早く連れてきてぇ〜〜」
「わかった、わかった」
だが、俺は舌を巻いていた。
彼女の大胆な行動力に。
思えばI川今日子もそうだ。
何が彼女達をそこまでさせるのか?
「だって、面白いんだもん。高木さんの書くものって。ゲームも好き。
可愛いんだけど、毒があるわ」
高木の作品に触れた者の口から出てくるのは、男女を問わずみな一様に「面白い」という言葉だ。
面白い、という言葉は深い。
「さっ、じゃあ、どこでお茶する? ルイはケーキ食べたーい」
ルイは小躍りしている。
「いや、茶はさっき飲んだばかりだ。俺はこれから大事な仕事がある」
「えー、いいじゃない、ちょっとだけ」
「うん。また今度、な。」
「がーん、ショック!! ……今日、お店休んでやる!」
「おいおい、当日欠勤は罰金だゾ。……こんど時間あるときに、焼肉おごってやるから」
「もー!! ずっと口ばっかりなんだからー」
俺は、ポンポンとルイの二の腕を叩き、右手の指をひらひらと振りながら踵を返そうとした。
ルイはふくれた顔のままだった。
「つまんなーい。どうせタテさんの頭の中は、I川今日子さんのことで、いっぱいなんでしょ!?」
ウッ。
‘I川今日子’という名前に、過剰に反応している俺がいる。
あれから、彼女の消息はそれっきりだ。
どうしちまったんだ。いい加減に姿を現してくれ。
いや、前のように声だけでもいい。贅沢は言わない、一本の電話で充分だ。
ここ数日は、I川の行動に対する疑惑よりも、彼女の身を案じる心配や不安のほうが、俺の心を占めるようになっていた。
──いずれにしろ、高木敏光の作品は、胞子となって春の風に乗り、全国の土へ運ばれていった。
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どんな人の心に、どんな芽を吹かせるのか。
見モノである。
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