
date: 2008年04月25日 | text : N島 縦 |RSS|
小説「クリムゾン・ルーム」の売れ行きが、なかなか好調のようだ。
高木敏光は新人の文芸作家であり、この本で何かの文学賞を受賞したわけでもない。
当然、大掛かりな宣伝、広告など無いのだが、書店リブロでもじわじわと売上を伸ばし、文芸書ランキングで20位台に入ってきたという。
取材も続々と入っている。
いちばん近いところでは、28日発売の週刊プレイボーイに掲載される。
GW合併号ということで、2週間店頭に並ぶので求めやすいだろう。見逃すことはなかろう。
俺は今日も新宿の街で仕事をしていた。
I川今日子について、あれからいくつかのことがあった。
パーティの翌日、小竹町の花屋『葵フラワー』を訪ねた。
会場に届いた、送り人不明の花束が注文された店である。
店内に入ると幾種類もの花の香りが俺の鼻腔を刺激した。
4坪ほどの非常にこぢんまりした個人店である。
エプロン姿で働いていた中年の女性に、俺は先日の伝票を見せて、この配達を依頼した女性客に覚えがないか、尋ねた。
「うーん……。あたしは、記憶ないねぇ」
50代前半くらいか、さっぱりしたショートカットに白髪が混じる女性はここの店主らしい。
眼鏡をあげて、困った顔で伝票と俺を代わる代わる見ている。
いったいあんた、誰? と顔に書いてあった。
俺は畳み掛ける。
「でも、4月17日かその前日くらいに配達を注文した客なんだから、そんなに多くはないだろ?」
「ウチは、あたしの他に、大学生と主婦のバイトさんが二人いるんだよ。もうすぐ来るはずだけどねぇ……」
「というかさ、元の伝票があるはずだよね。客の書いた──」
オバサン店主は、少しむっとした様子で
「いちおう、お客さんの情報だからねぇ、勝手に見せる訳に行かないよ」
……おっとっと。
俺としたことが、ちょっと焦っちまったな。
「いや、実はね……」
俺はカウンターにもたれかかると、アレンジメント中の黄色いチューリップを1本つまんで香りを嗅ぎ、頭をリセットした。
ガラスケースの中に、高木に送られたのと同じ顔をしたカサブランカの花が並んでいた。
「先日ここから送られた花束は、とある作家先生のパーティに届けられた花束なんですよ」
「作家……?」
「そうそう、渡辺淳一さんと、五木寛之さん、ご存じでしょう?」
「え、ええ」
「彼らの学校の後輩にあたる作家でね、僕は彼の秘書みたいなモンなんですが、
高木敏光っていうんですけど、聞いた事ない?」
「タカギ、トシミツ……。さて、あったかしらね?」
考えている様子である。
こっちに興味を持ってくれれば、この際なんでもいい。
「この本、ね」
俺は鞄から「クリムゾン・ルーム」を出してオバサンに手渡す。
「最近、この新作が出たばかりでなんですが、いままでの作品で最高傑作!」
しげしげと赤い本を眺めている。やはり現物効果は大きい。
「いまね、海外から映画化の話が来てるだけど、ペ・ヨンジュン主演で……」
身を乗り出してきた。よしよし。
「で、この花束を贈ってくれた女性ってのが、昔っからの高木の大ファンでね。丁寧なファンレターをいつも送ってくれて、……いや、正直手紙なんてゴマンと来るんだけど、彼女の手紙だけは特別だって、先生は言うんだよね。思慮深くて、聡明で、優しさに満ち溢れたもので、先生がスランプの時なんかも、その文面で随分、勇気付けられたんだ、と。だけど、その女性って、遠慮深いっていうか、奥ゆかしいコらしくてね、今回のパーティに招待したのも、3回目くらいなんだが『私なんかがお邪魔する場所ではありません』って、来やしないんだ。しかも送ってくれた花束だって、名前すらないんですよ。かろうじて、筆跡で判ったんたけどね……。
で、先生としてはいたくがっかりされて、どうしてもひと言、礼を言いたい、ということで、腹心の部下である俺に捜索を依頼したっていうわけですよ」
「………」
「おはようございまーす」
そのとき、若い女の子が元気よく店に入ってきた。さっき店主が言っていた女子大生アルバイトだろうか。
「あっ、クリムゾンルーム!」
彼女は店主の手元に目を留めて、本を指差して立ち止まってしまった。
「どーして!? どーして店長が、持ってるの?」
「いやね、この人が……」
どうやら彼女は、読者らしい。運がいいぞ。
俺は、ここぞとばかり胸を張り、ここに来た経緯を説明する。
「うわー。感激ぃ。高木さんのスタッフの方と会えるなんてー。あたしこの本、買ったその晩に、もう止まらなくなって、徹夜で読んじゃいましたぁ」
「そうかぁ、ありがとう。高木に伝えておくよ」
「やったー」
店主はポカンと俺たちを見つめている。警戒の色も薄れたようだ。
果たして、アルバイトの彼女は、花束を依頼した女性に覚えがあった。
接客をしたのは彼女なのだ。
「ええ、とっても綺麗な目の人でした」
人相や背格好を聞いても、ほぼ彼女に間違いない。
「どんな様子だった?」
「うーん、ちょっと元気が無いひとだなぁって思いました。顔色があまりよくなくて、」
「服装は?」
「確かベージュのトレンチコートを着ていたんですけど、下はジーンズにブラウスで、近所から来てるのかな、って印象でした」
「他に思い出すことある?」
「……そう、そう。その人『お財布忘れた』って。『とりに行ってくる』って、いちどお店を出たんです」
「ほう」
「『そこの病院だから、すぐ戻る』って言って、実際10分もしないで戻ってきました」
「……ん? 病院……」
俺は、表のほうを思わず振り返った。
「ここ、近くにS病院があるでしょ? そこのことだと思います……」
これは、リサーチしていないことだった。
「だから、この辺じゃ見かけない顔だし、お見舞い客のひとかなぁ、って思ったのを憶えてます」
花屋からいちばん近い交差点をはさんではす向かいに、大きな総合病院があるというのだ。
俺は彼女に頼んで、そのときの伝票の控えを見せてもらった。
すでに店主のオバサンは、他の客の応対をしていた。
伝票には、T野ではなくI 川今日子の名が、彼女の字で記されていた。
住所は例の春日町。電話番号は、050〜ではじまるIP電話のそれだ。
「ありがとう」
俺は礼の代わりに、カラーとチューリップの花をブーケにしてもらい、買い求めた。
今晩バナナメロンに寄って、店頭に使わせるつもりだった。
「高木さんのサイン、忘れずお願いしますねぇ」
俺は彼女に頼み込まれ、彼女と住所・電話番号を交換することになった。
店を出て、交差点まで出た。
確かに大型病院らしき建物が、北西の方角に見えていた。
交差点を二度、直角に渡り俺はその病院を目指した。
俺は少し緊張して、正面の門の前に立った。
S……記念病院
診療科目
内科・消化器科・循環器科・外科・内分泌科・脳神経科・整形外科・皮膚科・精神神経科・歯科……
かなりの大病院である。
彼女はココにいる可能性が高い。たまたま訪れた見舞い客なんかではなく、彼女自身がいま、常にココに住んでいる──つまり入院しているのだ。
花屋の女の子の話から想像すると、I川は簡単なものを身に着けて病院を抜けだし、いちばん近くにある花屋にやって来たのだ。
高木の出版パーティに、せめてお祝いの気持ちを示そうと、花を贈るために。
この建物のどこかに、彼女がいる……?
俺は、ぐるりと1階の広い待合室を見渡した。
いましも、I川が現れそうな気がした。
でかい綜合病院で、どの科にいるかも判らない。
見舞いに来たと言えば、病棟を教えてくれるだろう。
花屋の情報からいって、面会を制限されているほど重い症状では無さそうだ。俺は携帯電話の時刻表示を見た。午後3時からの面会時間までは、まだ1時間ほどある。
だが、俺には躊躇いがあった。
彼女の病、あるいはケガがなんであれ、彼女の望みは、病院で俺に発見されることではないだろう。
しかし俺は、確実にここいるということだけでも確かめたかった。
そして、出来るならば、俺の存在を知らせず、彼女の姿を確かめたかった。
ひと目だけ、姿を見たかったのだ。もう一歩で手の届くところに彼女はいるのだ。
その思いは抑えがたく、俺は受付に足を向けた。
彼女の名を告げ、見舞いをしたい旨を伝え、病棟を教えてもらうつもりだった。
そうすれば、彼女の入院が確認できる。
その後で、実際には見舞いに行かず、俺はこの1階ロビーで時間の許す限り、待ってみるつもりだった。
1階には大きめの売店もある。自動販売機もある。彼女が簡単な買い物に来る可能性は充分にある、と思った。
受付・会計と書かれた広いカウンターに歩を進めていた──そのとき、チンと音がして俺の左前方でエレベーターが開いた。
先頭に薄いピンク色の制服を着た看護士が降り、扉を押えていた。
車椅子の患者を先頭に5、6名の人間が降りてきた。
その中のひとりを見て、俺は息を飲み、足が止まった。
I川、今日子──。
間違いなかった。
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