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特別企画 N島リポート"

特別企画 N島リポート

第32回 I川について起こった2、3の事柄 II

date: 2008年05月03日 | text : N島 縦 |RSS

高木敏光「クリムゾン・ルーム」は、話題性や新奇性があるらしく、各メディアでも好感を持って受け入れられているようだ。当サイトでもNEWS欄で随時紹介をしているが、サンマーク出版では、いままでの露出履歴 を纏めて見られるようになっている。
いままでに、掲載メディアを買いそびれた、という方はそちらで確認するのも、いいだろう。

I川今日子の涙声が耳について離れないまま、その日の午前が過ぎた。
もはや眠ることが出来なかった。
俺は濃いコーヒーを立て続けに3杯飲み干し、S病院に行くべきかどうかを迷っていた。
行って会いたい、という気持ちは強い。
だが、それは俺のためなのか? 彼女のためなのか?
もちろん、彼女を助ける為に行くのだという思いはあったが、その根拠はどこにもなかった。
しかも殊更に俺の来訪を拒む、I川の態度をどう考える?
あれだけ会うのを拒絶している俺が行ったら、パニック症状を起こしかねない様子ではないか?
不思議なのは「会いたくない」と言われながら、俺自身の存在が拒否されたという感覚はまったく感じないことだ。
そりゃ、そうだよな?
彼女と俺の今までの関係は、ほぼ電話の会話だけだが、良好なものだったじゃないか。
以前から、高木のブログ等ネット上から俺の存在を知っていたせいか、常に俺には親近感を持った口ぶりで接していた。疎ましく思ったり嫌悪するような要素はないのだ。
と、俺は自問自答を繰返し、納得しようとした。
だが早朝の態度をみる限り、俺はうかつに彼女に会わないほうがいいのではないのか?
あの後、彼女は大丈夫だったろうか?

俺は、昼過ぎになってS病院に電話をした。
精神神経科のナースステーションに繋いでもらい、彼女の無事を確認したかった。
俺は電話に出た看護士に、I川から電話を貰って話した後、彼女が取り乱しているようだったので様子が心配なのだと、ほぼ事実を説明した。
「T野さんは今、眠ってらっしゃいますね」
「……そうか。特にいつもに比べて変わったところはなかったかい?」
「さぁ、日誌には何もありませんが……」
とりあえずは、無事なようだ。
それにしても、なんて歯がゆいんだ。
……そうだ。
「宮島先生っていうのは今日、いるかい?」
「ええ。今日はおりますが」
「お会いしたいんだけどな、彼女のことで」
「そうですか……ちょっとお待ちください」
随分長い間、待たされた気がする。
俺は、その担当医師が電話に出るのかと思いあれこれ言うことを考えていたのだが、結局さきほどの看護士の声がまた聴こえてきた。
「先生は今日、夜勤で入ってらっしゃるので午後6時に来て頂きたいとのことです」
「6時か。……わかったよ」
ここは、やはり医師に彼女の病状について聴くしかあるまい。
そのうえで、これからの俺の彼女への接し方を決めればいい。
それに病状を詳しく聴くことで、彼女の病を治療するヒントが、何か見つけられるかもしれない。

俺はまたアキラに仕事の代打を頼む手筈を整え、夕方を待った。

言われた通りS病院の受付で宮島医師の名を告げると、病棟のある5階ではなく4階の面談室というところに行くよう言われた。
素っ気ない調度の部屋に、簡単なソファーとテーブルのセットが置かれていた。
──このひとつ上の階に、I川がいる。
そう思うと、遣る瀬無さに気持ちが重くなった。
まもなく、担当の宮島医師が現れた。
30代半ばくらいの若い医師である。
日焼けした顔の色と綺麗に刈り揃えられた短髪が、余計若く見せるのかもしれない。
「はじめまして」
「はじめまして。さっそくですが、T野さんとは、どういうご関係の?」
「先日、ある小説が出版されたんですが、その本に関して……」
「もしかして、あなたが高木敏光さん?」
俺の言葉を遮って、医師は言った。
「いえ。高木は僕の友人なんだ。……高木敏光をご存じでしたか」
「病室に、あの本があると目立ちますからね」
「そうか、彼女、本を持ってきているんですね」
「3冊くらい置いてありますよ。一冊は自分で読む為、一冊はディスプレイ用、そしてもう一冊は、誰か欲しいという人が現れたら渡すため、だそうです」
そう言って彼は微笑んだ。
「著者の高木さんとは、ファンであるだけでなく、親しいようですね?」
「彼女は僕の依頼主なんです。彼の小説家デビューにあたって、友人である僕に執筆経過や身辺雑記をレポートにさせようと、僕に仕事を依頼したのがT野さんなんです」
「なるほど。そういうわけですか」

「……先生。I川……いや違った、T野さんの症状と言うのは、どういったものなんですか?」
「はい……医学的に申し上げると、解離性同一性障害……の疑いがある、ということしか現段階では申し上げられません」
「解離性……というと、多重人格ってことかい?」
俺は思わず右手で顔を覆った。
なんということだ。
「そうだ、と断定された訳ではないです。この病気の診断は難しいんです」
「でもそれに近い症状は、出ているわけだよね?」
「はい。症例は限りなく、それを証明しています。生活している中で、ところどころ記憶障害があり、その間の彼女の行動を追ってみると、まったく別の二次的人格が行動している可能性があるのです」
「その別人格と、先生は話したことがあるのかい?」
「……2、3度。カウンセリングの最中に、それは現れました。とても幼児性を持った子供の人格で、亡くなったお父さんに過度の愛着を示し、名前を呼んで求めるいっぽうで、激しく自分を責めたり、許しを請うたり、救いを求める言動が随所に見られました。そして、途中からは行動的で男性的なヒロイズムを持った、まるで映画の女性アクションスターのような言動をとる、10代半ばくらいの人格が現れました。主たる基本人格を含めると、3つの人格が認められることになります」
「………」
以前読んだ心理学の本に登場した「3人のイブ」や「ビリー・ミリガン」といった名前が、俺の頭に去来した。
「私とカウンセラーは、人格の分離の原因を作ったであろう、心的外傷がどこに起因しているのかを探ろうと、慎重に質問をしていきました。……それは、どうやら幼い頃に亡くした父親に関することらしいのですが、核心部分になると小児人格の彼女が激しい自責行動をとって興奮状態になってしまい、時に自傷行為に及ぶ危険が見られたので、質問を中止せざるを得なかった。カウンセリングはその繰り返しでなかなか前に進まない、というのが現段階でお話できることです」
「しかし、I川、いやT野さんは普段あれだけしっかりした女性だ……多少天真爛漫なところはあるが、職場での仕事ぶりや評価も非常に高かったんですよ」
「そうなんです。彼女の症例が稀有なのは、彼女の主人格が非常に優れていて自律的で、出来過ぎというくらいに優等生的なのです。なにしろ彼女は、自分からこの病院へやってきた。そして、記憶の喪失を含めて自分の精神に異常が起こっているかもしれないことを話し、私に治療を求めたのです。この場合、そういった例はあまり多くない。主人格であるT野さんと話している限り、この障害の存在はまったく想像が出来ないのです」
「………」

俺は、自分とI川との間に起こった不可解な出来事や彼女の不自然な態度を、彼に伝えた。
宮島医師は、意識を集中して俺の話を聞いているようだった。
「……それは、不思議ですね。なぜあなたに対して、そのようなアンビバレントな態度をとるのでしょう」
「それが、わかれば苦労しないんだ」
「もしかして、あなたは亡くなった彼女のお父さんの友人だったとか?」
「まさか!まったく知らないよ、彼女のお父さんなんて」
「そうですよね……。あくまでも推論の域を出ないのですが……彼女はどうやら父の死に責任を感じ、自分を責めているようなんです」
「責任を……?」
「それが幼児人格の自虐的な態度に繋がっている、という見方です。そしてもうひとりのヒーロー人格は、無力な彼女を救おうとする人格、いや、もっと言うと父親を救おうとしてすら、いるのかもしれない」
「彼女の父の亡くなった理由というのは、なんなんですか?」
「心臓発作、ということしか解らないんです。死亡時に収容された病院の記録を見ても、家族で外出中に発作を起こし死亡、原因は急性心不全、ということしかなく、死に至る状況についての記述は一切ない。元々心臓に疾患があった気配はあるんですが」
「病死であれば、娘である彼女には責任がない」
「それはそうです。ですが、もし父の死の場面にT野さんが立ち会ったのだとすれば、幼い彼女にとっては、かなりの深い傷になるはずです。健常であれば、それを時間と共に記憶の澱の中に沈めてしまい、正常な生活に戻っていくのですが……」
「………」
「ですから、あなたがお父さんの友人であれば、彼女にとって懐かしさと愛着の対象になるのと同時に、忘れたい過去を思い出させるので避けたい人物であるという、二律背反的行動の説明がつくと思ったのです」
「……なるほど。だが、それは有り得ないことだ」
「確かに。……弱りましたね」
二人の間に、冷え冷えとした沈黙が流れた。

「では、いま彼女への治療は、どんなことを行っているのです」
「明確に治療方針が決まっていない、というのが正直なところです。カウンセリングで原因を特定させる糸口を掴むことからです。ただ、症状が現れて興奮状態になると危険なのと、彼女が頭痛や不眠を訴えるので、抗不安薬や睡眠誘導剤を処方しています」
……やっぱり、しょせんその程度なのだ。
薬品を使う対称療法しか、有効な手が打てないのだ。
だが、ここにいることで、少なくとも身の安全だけは確保されているのかもしれない
宮島医師は続けた。
「もうひとつ、珍しいことなのですが彼女は他の外傷性精神障害をあまり合併していないようなので、現状では正直言って入院を続ける理由があまりなく、通院でも充分に対応ができると私は思っているのです」
その言葉を聞いて俺は、希望の光を見た。
この病院や若い宮島医師が、どれだけ優れた精神医療を誇っているのかは知らない。
が、ここにいることが彼女の根本的な治癒に繋がる可能性はあるのだろうか?
………
俺は考え込んでしまった。

ピピピピピ……
そのとき、宮島医師の携帯電話が鳴りだした。
正確に言うとそれは、病院内の連絡用のPHS端末なのだろう。
「……はい、宮島ですが。……ああ。そうだ」

俺は、彼女に何かしてやれるのだろうか?
普通は、出来ることなどないのかもしれない。
だが、彼女の俺への不思議な態度、それが俺を捉えていた。
そのことが、逆に俺が彼女にとって何かのキーとなる可能性を感じさせていたのだ。
もっとも、それはまったくの勘でしかなかったのだが。

「え? なんだって!?」
急に宮島医師の声が大きくなった。
「わかった、ああ、今すぐ行く!」
端末機を切って、俺をまっすぐ見た。
「N島さん……」
「え?」
「彼女が……、消えてしまいました」

つづく

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