クリムゾン・ルーム公式サイト CRIMSON ROOM

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特別企画 N島リポート"

特別企画 N島リポート

第33回 I川について起こった2、3の事柄 III

date: 2008年05月07日 | text : N島 縦 |RSS

うっかりしていた。
既出の高木敏光のインタビュー記事が、もう1つあった。
『本のメルマガ』という、10日周期で発行されているメールマガジンの最新号にもインタビューが載ってる。
‘ベストセラー、一歩手前’というコーナーでの紹介だ。

「クリムゾン・ルーム」の発売後、出版各社からいろんな形で執筆の引合いが舞い込んでいる模様。
現在、それを高木のエージェントであるY内女史がよーく吟味精査し、著者である高木と次の戦略を練っている段階のようだ。

俺・N島としても、この小説が世に出た化学反応を、正直、今は見守るばかり。
俺のもっとも身近に起こった、I川今日子の反応というか異変について、とりあえず書き記すことを許して頂きたい。


「えっ。消えた……?」
「病室が空っぽだそうです。看護士が院内の心当たりを探してたが、どこにも見当たらないそうです」
「……ここから、抜けだした?」
「わかりません。とにかく戻らなきゃ」
「俺も行っていいかい?」
宮島医師は、一瞬ためらうそぶりだったが
「いいでしょう、あなたから何か気がつくことがあれば教えてください」

5階の514号室、彼女の病室は個室の割に広々とした部屋で、中央に位置するベッドの周囲はきちんと整頓されていた。
一見、病院らしくない色遣いの室内を見て、ここは別途に料金を払う個室なのだと俺は想像した。
薄手の白いシーツの上にきちんと布団がたたまれて置いてあり、ベッド脇のサイドチェストの上には歯ブラシとプラスチック製のマグカップが置かれていた。
病室内で、薄いピンクの制服を着た若い看護士が、困惑しきった顔で状況を説明した。

それによると看護士が異変に気づいたのは1時間ほど前、夕食の配膳が済んだ後、検温に訪れたときで、その時すでに病室には姿が無く、今のような状態だったという。看護士は同じフロアの談話室に行っているのかと考えたが、患者がここに入院してからあまり食欲が無く夕食にはいつも時間がかかっていたので、看護士はその時間に既にベッドに備え付けのテーブルに病院食が置かれていないことに違和感を覚えた。室内が綺麗に片付いていること、いつも置いてあった赤い本(「クリムゾン・ルーム」のことだ)が無いことも不審に思ったが、他の病室からナースコールがかかった為、そちらを優先したという。コールされた患者の対応に手間取っているうち、T野のことをステーションのチーフに報告するのが遅れてしまった。手間のかかる患者の世話にひと段落ついて、自分でこの病室へ戻ってくると、相変わらず戻った形跡が無い。「これは」と思いロッカー内を見たところ、バッグやコート、パンプスなど、入院時に着用していた外出用の衣類等が無かったので、慌てて報告したという……。

俺は、主を失った病室をぐるりと見渡した。
サイドチェストの中には数誌の女性雑誌が置いてあった。
ロッカー内には、以前見かけたスウェットとカーディガンがかかっている。
「売店とか、食堂とかそんなところは……」
俺は無駄と知りつつ訊ねてみる。
「既に全部見てきました。本来この病棟では、看護士の許可をもらわなければこのフロアから外出することは出来ないのですが……」
看護士と、後から入ってきた先輩格の女性が口を揃えて答えた。
「明らかに必要の無いものだけ置いていってる。戻る気は無い、という感じだなぁ……」
俺が呟く。
「困ったな、別人格による行動じゃなきゃいいんだが」
宮島医師は、左手を白衣のポケットに手を突っ込んで、右手で顎を擦っている。
溜まらず、俺は言った。
「……俺が、彼女の家を訪ねてみましょうか?」
「……ふむ。お願いできますか?」
「行ってみるよ。もし彼女が家に戻ったんなら、今から行けば会うことができるかもしれない」
「こちらも彼女への電話連絡と、保護者の方へ確認をとってみます」
「そうだ。埼玉の叔母さんだっけ?場合によってはその人に家に来てもらったほうがいいかもしれない」
と俺は言ったが、宮島医師は
「……その叔母さんですが、持病の腰痛が悪化したということで10日間あまりは全然来ていないのです。遠いし、当てにしないほうがいいかもしれないですよ」
「なるほど。わかったよ。でも、いちおうその叔母さんの連絡先を俺にも教えてくれないか?」
宮島医師が顎で合図を送ると、若い看護士が病室を出て行った。
俺は、対応に窮したとき宮島医師にすぐ連絡が着くよう、彼の電話番号を聞き、I川の叔母の番号と共に携帯に入力した。

病院を出て、待機中のタクシーをつかまえると春日町へ向かう。
例のマンションへは、15分ほどで到着した。
時刻はもうすぐ20時半というところだった。

俺はまず南側の細い通路に回り込んで、彼女の部屋のバルコニーを外から確認した。
照明は……点灯していない。
ここから見る限りは以前と同じで、ずっと不在の状態が続いているように見えた。
前回訪れた雨の夜とは違って、今日は星が空に瞬き、暖かな風が流れていた。
俺は正面玄関に戻り、彼女の部屋である303号室のインターホンを押した。
2度ほど試みたが、反応はやはり無い。
俺は、管理室という銘版が張付いた104号室のボタンを押した。
しばらく間があって、年配の男の声がした。
「はい。管理室です」
「夜分どうも。実は303号室のT野さんのことで大至急、お話があります」
「……どちらさまですか?」
「T野さんの友人の者です」
「友人の方なら、直接彼女に連絡をとっていただければ……」
「そういう話じゃないんだ。いいから、出てきてくれ!」

60歳を越えているであろうマンションの管理人は、不機嫌な態度を露わにして1階の集合玄関に歩み出てきた。老眼鏡を手でずらしながら、ガラス越しに俺をじろじろ眺めた。俺は手を左右に振り、内側の自動扉を開けるように促した。
扉が開くと
「あんた、何よ。騒ぎ立てるんだったら警察を呼ぶからね」
「いや、すまなかった。事情があってね」
「………」
「305号室のT野さん、この頃あんまり居ないだろ?」
「………」
「俺は彼女の昔からの友人なんだが、彼女入院してるんだ」
「……そうなの? いったい、どういうこと?」
やはり、何も知らないようだ。
「仕事の過労で、倒れたんですよ。ホルモンのバランスが崩れてるので、長期休養が必要だと医者に言われて、とりあえず入院……ところが、俺が今日見舞いに行ったら、直前に病院から勝手に外出しちゃったんだ」
「………」
「だから、もしや自宅に戻ってないかと、こっちに来てみたんだよ」
「……確かにねぇ。T野さん、この頃不在がちだったのは知ってますよ。でも以前も旅行とかで、よく空けてたから。……まさか入院してたとは、ねぇ」
「そうなんだよ。俺も古くからの友人だから、心配してね……で、さっきから何度、携帯に電話しても出ないし、部屋のインターホンにも出ない」
「そう……心配だね。それで?」
「それで、っていうか、……つまり、T野さんの部屋を見せて欲しいんだ」
「えっ?」
「頼むよ。災害とか緊急用の合鍵が管理室にあるんだろ?」
「ちょっと、ちょっと。そんなこと、できないよ」
明らかに困惑して、かつ迷惑だという顔である。
「T野さんだって大人の女性だし、自分の考えがあって病院を出たんでしょ?
それをいきなり、他人であるあんたから『部屋を見せて』って言われても……。そこまでする必要あるの? 病院生活に飽きちゃって、どっかで羽伸ばしてるんじゃないの? ……だいいちあんたがT野さんの友人だって証明はあるの? 失礼だけど、あなたのほうがだいぶ歳上にも見えるし、さっきから、初めて聞く事だらけでね、どうにも……」
管理人にしてみれば、当然の反応だった。

ふう。
俺は、ひとつ深呼吸して、しばし間を置いた。
「あのね、これは、緊急案件なんだよ。……実は彼女、勘違いをしてるんだ」
「勘違い?」
「ちょっとした誤解から、別の患者のカルテを読んで、自分が不治の病いと思いこんでしまったんだ。それで思いつめてしまったのか、病室に遺書を残してるんだ」
よくもまあ、出鱈目が出るもんだ、と自分でも思う。
「い、遺書?」
「そう! ……だから、緊急を要するんだ。ここのマンションから飛び降りでもされたら、ヤだろ?」
管理人はドギマギしている。
すかさず俺は言った。
「……ちょっとサ、そこに電話帳ある?」
俺は、玄関ロビーに面してガラスの受付窓がある管理室を指差した。
日中はここにいるのだろうが、今は消灯されて無人だ。
「あ、あるけど……なんだ?」
「ちょっと、見せて」
「……」
「早く……!」
俺の見幕に押されて、管理人はしぶしぶポケットからキーチェーンをジャラジャラと取り出し、部屋を開けた。
室内が点灯され、管理人が持ってきた黄色いタウンワークを手から奪い取った。
「小竹町のS病院な……知ってるだろ?」
管理人は怪訝そうに頷いてる。
俺は‘総合病院’の項からS病院を探し出し、指で管理人に指し示すと
「ここにあるだろ番号……電話借りるよ」
俺は事務机の電話機を勝手にダイアルし、S病院に繋げた。
「あ、もしもし。そちらの宮島先生、頼むよ。宮島先生!」
‘何科のミヤジマセンセイですか?’と受話器の向こうの受付の男性は喋っていたが、俺は無視して
「み・や・じ・ま! ……いるだろ? 俺、さっきまで会ってたんだよ!」
しばらくして、‘精神科のミヤジマセンセイですね?’との声
「そう、そう!そうだよ。……早く呼んで!!」
もちろん管理人には、俺の言葉しか聴こえていない。
しばし待たされた。
管理人は、所在無さそうに突っ立っている。

俺は待っている時間に、また作り話を並べた。
「俺はね、実は彼女のお父さんに世話になったものなんだ」
お?という変化が、管理人に現れた。
「そうですか。では、設計関係の?」
「ん……ああ、そう。今は、とあるゼネコンにいるんだが」
I川今日子の父というのは、設計屋さんだったのか。
「でね、俺はT野さんがまだ小っちゃいときから可愛がってたんだ。妹みたいに、ね」
「私も、よくは知らないんですが、ここの土地のオーナーさんから、T野さんのお父様やご家族について、聞いたことがあります。東京都や区の施設なんかを設計されてた立派な方らしいですね。すごい能力のある方だったと……」
「そう、僕にとっても、師匠みたいなもんです」
「不幸な亡くなり方をされたようで……」
「そう……心臓が悪かったから、ね」
I川とその家族は、もともとこの辺りに住み、父親はそれなりの名士だったようだ。

‘もしもし──’
受話器から宮島医師の声が聴こえた。
「あっ、先生。……N島です。いま彼女の住んでるマンションに来ているんです。で、部屋を開けてくれるように管理人さんに頼んでるんです。彼女、死んじゃうかもしれないって。だから先生からも、危険性について説明してください!」
‘え? ……ええ?’
電話の向こうで、宮島医師は事態を呑み込めただろうか?
俺は彼に託して、電話を替わった。
「あ、マンション管理人の佐藤といいます。……はい、はい。……」
1、2分、問答を繰り返していたが、どうやら話はついたようだ。
電話を俺に戻す。
「ありがとな、先生」
‘N島さんも、ずいぶん強引なやりかたしますね……’
電話口から苦笑が漏れている。

「人命に関わる、ということで、本当に特別ですよ!」
管理人は、そう言い捨てると、非接触カードと暗証番号を使い、たいそう厳重なステンレスの箱からI川の鍵を取り出してきた。
「全室の鍵があるわけでは、ないんですよ。303号室があって、よかったですね」
俺たちは3階303号室へ向かった。
例によって、ドアチャイムを2、3度鳴らし、応答が無いのを確かめて鍵を開けてもらった。
管理人も中に入ろうとしたが、何かあれば呼ぶという約束で、外の廊下で待っていてもらうように説得した。
玄関内に入った。靴脱ぎからあがったすぐ上のダウンライトが点灯している。
この灯りは、外側からは確認できなかった。
中にいるのか?
管理人に聴こえることを意識して「T野……さん?」俺は呼び慣れない名を口にしながら靴を脱いであがりこんだ。
左側は手洗いや浴室スペースらしく、右に伸びる二間ほどの廊下の突き当りが、おそらくはリビング等の居室と思われた。そこへ向かう途中、左手のドアが半開きになっている。中を覗くと、寝室だった。
人影は、無い。
セミダブルのベッドと洋服ダンスが二つ、アンティーク風のドレッサーがあった。綺麗にカバーが掛けられたベッドの上には、俺が見たベージュのコートが無造作に置かれていた。
S病院へは、これを着ていったのではないのか?

俺は廊下へ引き返し、リビングへと向かった。
入ってみるとキッチンと繋がった10畳程度のリビングだった。やはりとても綺麗に片付いている。
I川の姿は、無い。
だが、ダイニングテーブルの上に4分の1ほど水を残したグラスと、コントレックスの1.5リットルのボトルが置かれていた。
グラスと、ペットボトルについた水滴が、これが使用されて間もないことを語っていた。
やはり、I川は、さっきまでここに居たのだ。
では、今はどこに?
低い布張りのカウチや24インチほどの液晶TV、マガジンラック、ウッディな食器棚もすべて整頓されており、特に変わったところはない。とてもシンプルな空間だ。
間取りは2LDKと聞いていたが、あまりモノを置いていないせいか、とても広く感じる。

部屋はあとひとつ。
リビングから大きめの引き戸で仕切られている。
俺はこれも儀礼的に、軽くノックをして扉を引いて部屋に足を踏み入れた。
ツンと塗料の匂いがした。
「これは……」

そこにも、I川の存在は居なかった。
だが、その部屋は別の意味で俺を唸らせた。
リビングと同じほどのサイズの部屋は、今まで見てきた部屋と違い、モノが溢れていた。壁に並ぶ大きな書棚。それを埋め尽くした大量の本、画集、DVD。
木製の立派な机。袖机に置かれた建築模型……。
部屋の隅には、大きな板のようなものが並ぶ一群があり、厚い布が掛けられていた。
何より、この部屋でいちばん目立ち、その特徴を決定付けているのは、中央に広いスペースを取りベランダ窓に向かって設置されたイーゼルと椅子だった。
塗料の匂いと思ったのは、絵具の匂いだったのだ。
美大の出身で、画廊に勤めていたという経歴は入手済みだったが、まだ絵を描いていたとは知らなかった。
いまの会社勤めで、そんな暇はあったのだろうか?

その部屋は、画家や建築家といったアーチストの書斎やアトリエという趣きで、どちらかというと男性的な匂いがした。
決して乱雑ではないが、その情報の収納量の多さと漂う雰囲気に、俺は圧倒された。
それまでの印象だった、清潔で整理好きな女性の住むシンプルな部屋とは一線を画す独特の濃密さに支配されており、ある意味では誰も窺い知ることの無いI川今日子の精神構造の中を覗いているような、落ち着かない気分にさせられた。

俺は、部屋の中央に歩み寄り、イーゼルに架かった絵を覆っていた薄い布を取り去った。

つづく

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