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特別企画 N島リポート"

特別企画 N島リポート

第35回 I川について起こった2、3の事柄 V

date: 2008年05月14日 | text : N島 縦 |RSS

I川物語もクライマックスだ……。

T遊園まで、もちろん車で移動するような距離ではなかった。
俺は、走った。
10分もあれば敷地までは着けるだろう。
途中、走りながら俺は携帯電話に向かって話しかけるつもりだったが、ある時点で通信は途絶えてしまい、その後コールしても電話に出なかった。
「早まったことすんなよ、I川……」
テニスコートやグラウンド、住宅の合間を経由し曲がりくねっていくしか、T遊園に近づくことは出来ず、直線距離から感じるより随分時間がかかってしまった。
野球場を迂回して、T遊園の北側に面した柵が見えてきた、そのとき携帯が鳴った。
走るスピードを落とし慌てて取ると、それはI川今日子ではなくS病院の宮島医師だった。

「どうでした?」
「……部屋には、いない……で、俺は、近くのT遊園に、向かってるところだ……おそらく、彼女は、そこにいる」
「……その見当は正解かもしれません」
「……ん?」
「さっき、保護者になっている埼玉の叔母さんと話すことができたのですが」
「……ああ」
「彼女の幼少時、父親が亡くなったのは、遊園地でのことなのです」
「! ……T遊園か?」
「おそらく、そうです」
「わかった。……とにかく今は、急ぐんだ。また後でな」

T遊園の照明は既に最小限まで落とされていた。正門に当たる入り口は、ここから反対側の南側にあるはずだったが、当然もう閉鎖されていることだろう。
2mほどの高さの柵の向こうに、いくつか大型遊具やアトラクションの施設があった。全て、1日の役割を終え眠りにつこうとしていた。平日のことであり、それほどの入園者があったとも思えない。
閉園作業の一部だろうか、ひとりの係員が懐中電灯を持って遊具を照らして歩いている。
その係員が歩き去るのを待って、俺は柵をよじ登り飛び越えた。
敷地内に入ることは、訳もなかった。

俺は、眼前にそびえたつ例の観覧車に向かうつもりだった。
マンションから眺めるのと違って、見上げるほどの大きな威容を晒しているその物体は、黒々とした影となって俺を見下ろしていた。ワゴンは50〜60基くらいはあるのだろうか。その土台というか根元の部分を俺は目指した。I川の存在と園の係員の両方を注意しながら、模型列車や回転木馬、ミラーハウスの間を継ぐように縫って、早足で歩いた。
緊急事態ではあったが、客観的にみて自分のやっている行為の滑稽さを感じずには居られなかった。

ガコン、と大きな音がして、辺りがさらに暗くなった。
園の所々に設けられていた高い照明塔の最終電源が落とされたようだ。
あとは、非常灯の明りのみ。
月は出ていない。
周囲の明りが雲に反射しているのが救いだった。

100mほどを歩いたのだろうか。
海賊船長が剣を振りかざしたまま闇に静止しているパイレーツの船を回り込むと、その後方に観覧車の全貌が露わになった。
でかい……。
この遊園地の歴史は古く、アトラクションや乗り物も決して新しいものではない。
観覧車も同様に、相応の年数を経てメンテナンスを繰返してきたものと思われる。
高さは70〜80mはあるのだろうか?首都圏には、台場や葛西にもっとスケールの大きい観覧車があるのだが、こんな暗闇で間近に見る観覧車は初めてである。
そのオブジェは巨大な鉄の怪物のように、俺を圧倒した。
俺はなおも近づきながら、I川今日子の姿を追い求めた。
ここに居る、という俺の読みは誤りか?
強固な鉄骨が組み合わさり、周囲を鉄の壁で覆われた、建造物の基礎部分を探した。
そのとき、視界のどこかで動くものの気配を感じ、俺は観覧車を見上げた。

……居た!
あれが、I川か?
俺が目を凝らした視線の先には、地上から10mほど離れた高さの鉄骨にしがみつく女性の姿があった。
いったい、何を……。
スリムなジーンズに白いサテンのような生地のブルゾンを身に着けている。
60数基のゴンドラが、時計の目盛りのように円となって連なる、ちょうど時計の4時半を指すあたりに彼女は、いた。
放射状に伸びる鉄骨の根元に掴まっている。
飛び降りるつもりなのか?

「………おい」
あまり大きくない声で、俺は呼びかけた。
体がびくっと反応し、その女性は下を向いた。
やはり、I川今日子だった。
これで、会うのはやっと2回目。
恐怖に引きつった顔で、目を見開いていた。
「助けて……」
「待ってろ。いま行く」

俺は、シャバの真面目人間風スーツの上着を脱ぎ捨て、観覧車の鉄骨をよじ登り始めた。
これは、かなりの腕力と脚力を要する作業だった。
I川は、よくあんなところまで登ったものだ。
いまの彼女は別人格なのだろうか?
人格が変わると、身体能力や癖まで変わるという。

動くなよ、I川。いま行くからな。
よじ登っていくと、他の遊戯施設の影がいくつも見渡せるような視界が次第に開け、俺は非現実的な感覚に襲われていた。
登りながら、I川がここに登った理由を考えていた。そして、彼女の部屋で見た灰色の観覧車の絵を思った。
なぜ、こんなところに?
いま彼女を動かしているのは、宮島医師の言うスーパーガールな人格なのだろうか。
だが、上にいる女が誰であっても、俺はI川今日子として扱うつもりだった。

やっと、彼女の姿がはっきりと見えてきた。
ここまで来るのに、5分ほどはかかったろうか。
I川の居る位置は、放射状の鉄骨と鉄骨を繋ぐ輪の接合部分にあたる場所だった。
輪は二重になっており外側の輪の先に、ゴンドラをぶら下げる支柱がある。
彼女はその途中で、動けなくなってしまったようだ。

俺は額から汗を垂らしながら、やっとI川の場所に辿りついた。
「大丈夫か?」
その肩をつかんだ。
I川の全身は、震えていた
俺自身、手と足で放射状の鉄柱と輪に足を突っ張って体を支えている為に、片手を伸ばすのが精一杯だった。
「怖いよう……」
「もう、大丈夫だ」
とはいえ実際、全然大丈夫では無かった。
俺は自分が移動するだけでも精一杯の体力を使っている。I川を抱えて降りることは不可能だ。I川を下に降ろすとすれば、彼女が自分の意思でココを降りるようにしなければならない。
いまのI川が、自分でその行動を選択してくれるだろうか?
I川の顔は蒼白で、頬は涙で濡れていた。
地上から10m高いだけで風の強さが格段に違っており、肩まである彼女の髪が顔に絡みついていた
「タテさん……来てくれたのね」
ふっとI川の顔が緩んだように見えた。どうやら今は俺のことがわかるらしい。
「おう、あたぼうよ」
「すごいのね、ここにいるってよく判ったね」
「タダ者じゃないのさ、俺は。……けど、俺達ちゃんと会うのは初めてなのに、すごい舞台で会うよな。さすがにPR会社のエースだけあって、とんでもないイベントしかけてくれるよ」
I川はくっくと笑い、肩が揺れていた。

二人は鉄柱の幾何学模様に互いに不自然な姿勢で静止していた。
遠くから見れば、あるいは、蜘蛛の巣に捕われたちっぽけな虫のように見えたかもしれない。
「俺がスパイダーマンなら、おまえを腕に抱えてすぐにひとっ飛び、なんだがな」
「いーね。タテさんなら飛べるでしょ?」
「おう、任せとき。……が、ブラックな蜘蛛に冒されて、あいにく今日は糸が出ないらしい……。今日は、人間っぽく、手と足を使って降りないか?」
「……ゴメンね。こんなことさせて」
どうやら、降りる気になってくれそうだ。
いいぞ。

「ふう。……でも、おまえいったいなんで観覧車なんかに……」
軽い気持ちで、言ったつもりだった。
だが、急にI川今日子の顔が曇った。
目を閉じて、何かの痛みに堪えるような表情をしていた。
「……あたし、やっぱり降りないわ」
しまった。
俺はヤバイことを言ったのか?
「降りないって、おまえ」
「離して!」
すごい力で、肩から俺の手を振りほどいた。
「助けなきゃ、いけないのよ」
「えっ?」
目が見開かれ、またしても顔色が青褪めている。
「助けろ、ってあたしに言ってるのよ」
「誰を?……助けるんだ?」
「あそこに」
彼女が指差す方向、俺たちの前30度下方に観覧車のワゴンがあった。赤いボディに16という番号が塗られている。
「閉じ込められてるのよ……」
また、彼女の両目から涙がポロポロ落ちた。
「誰が、だ」
「パパよ!」
絶叫に近い声で、彼女は言った。
誰か、ここの係員が気づいただろうか?
「パパは、ここで胸が苦しくなって」
「………」
「あたし、パパを助けてもらおうとして、大声で呼んだわ」

……ということは。
つまり、I川の父親は観覧車のワゴン内で亡くなった、というのか?
「ここから、出ようとした。窓を、開けようとした」
目が虚ろに見開かれていた。
「でも、どこも開かなかった。どこにも届かなかった。……誰も聞いてくれなかった!」
「I川、おまえが一緒に乗っていたのか」
愚問だった。そうなのだ。
子供連れで遊園地に来て、子を置いて自分だけ観覧車に乗る父親などいる筈もない。
「パパは、胸を押えてだんだん動かなくなったわ……」
I川が脱力したように、呟く。
「そうか……。そうだったのか。……でも、それは、おまえのせいじゃない!おまえのせいで、パパが死んだわけじゃない!」
「ううん、あたしのせいよ! ……忙しくて、体調も良くなかったのに。あたしとの約束を守るために遊園地に……」
I川の目は急に鋭利な刃物のように輝き、憎悪に燃える復讐者の顔になった。
そして、その憎悪の刃は全て自分に向けられていた。
まるで寒くて堪らないというようにI川の体は震えがひどく、歯がガチガチと鳴っていた。
「もっと、あたしが頑張って、助けを呼んでいたら……!そう、大声で!窓を破って!」
I川が両手を使い、叩くような動作をしたせいで、彼女の体が川に浮かぶ丸太棒の筏のようにくるりと斜めの鉄柱を滑って、下方向へ回転した。
「危ない!!」


ついに、高木敏光の名前が一度も出ないリポートになってしまったゼ。
ま、いいじゃねーか。
ちなみに今、ヤツは北海道だ。
刺身をたらふく食って、今頃、ススキノの黒真珠にいるんじゃないか?

つづく

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