クリムゾン・ルーム公式サイト CRIMSON ROOM

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特別企画 N島リポート"

特別企画 N島リポート

第38回 来るべき風の息吹

date: 2008年05月24日 | text : N島 縦 |RSS

ビッグニュース!
すでに高木敏光のブログで既知の人もいると思うが、次回作の発表が決まった。
作品は、伝説の「ササイのことで思い出した」。
まだ誌面というかメディアは発表できないが、改稿を加えて半年間に渡り連載されることになりそうだ。
まずは、このレポートでも第一報ということで。
楽しみだな。

では前回の続きを……。
面談室を出て、俺は宮島医師と別れた。
階下に下り、建物の中庭に面したカフェテリアでI川を待つことにした。
ガラス越しに日差しを浴びながら、俺はセルフサービスのコーヒーを啜っていた。

欅や楡の大きな樹木の緑が濃さを増し、季節の変化を確実に感じる暖かな日だった。
「タテさん……」
風鈴が鳴るような声がして、肩を叩かれた。
I川今日子が現れた。
「おう」
グラスの入ったトレイを置き、カウンターの左側に座った。
柔らかなそうな素材の生成りのワンピースを着て、薄らと化粧もしている。
あらためて見ると、以前見た写真よりほっそりとしていたが、美しい女だと思った。
彼女を見て、精神科に入院していると想像できる人間はいないだろう。

「元気そうじゃないか」
「えへへ……まだズキズキするけど」
大きな瞳を少し歪めて、彼女は左肘をさすってみせた。
観覧車の空中活劇で、知らない間に打ち身になっていたらしい。
額の擦り傷はファンデーションで上手に隠されて、ほとんど目立たない。
「俺もえらい筋肉痛だよ」
「もう、おじさんだからね」
「なんだとぉ」
俺は、額の傷のないところを選んで小突いた。
I川は、何故だか俺の口許を見て、一瞬だが目を閉じて夢を見るような表情をした。

「『クリムゾン・ルーム』、売れてるゼ」
「……そう、やっぱり」
「ロングセラー・モードに突入したらしい」
I川は微笑んだ。
「新聞・雑誌にも出まくってるゾ」
「嬉しいわ」
「委員会の発足者としては、次の展開を考えないといけないんじゃねえのか?」
「……そうね。いよいよファンクラブを作ろうかしら」
「そしたら、グッズも販売しよう。マスコットとか下敷きとか」
「いいわね。ブロマイドも」
「あと、俺はツアーの企画も考えてる。タイトルは‘『クリムゾン・ルーム』の故郷を訪ねて〜ススキノ違法カジノから黒真珠、Kの部屋まで・探検ミステリーツアー’……」
「いいわね、あたしはガイドをやるわ」
「めちゃ似合いそうだな?」
二人は笑いあった。
彼女の佇まいから、静かだがとても落ち着いた安定感のようなものが俺に伝わっていた。

「そろそろ仕事にも復帰しなきゃ、だろ?」
「……ああ、そうか」
「おまえを買ってる上司やクライアントがお待ちかねだぜ」
「………」
I川は何かを考えている風だったが、
「あたし、会社は辞めるわ」
と言った。
「?……そうか。どうするつもりなんだ」
どうやら、彼女にはもう自分の行く末が見えているらしい。
「これから、どうするつもりなんだ?」
「ウン……」
I川は、両肘を抱えてテラスの全面ガラスを通して、中庭に散在する樹々を見ていた。
「……あたし、たぶんもう大丈夫だと思うの」
「もともと、おまえは大丈夫だよ」
「なるべく早く、ココを出て」
「うむ」
「自分の部屋に帰る」
「ああ」
「……あたしね、もういちど絵を書こうと思ってるの」
「……ん」
「今度は、観覧車の絵じゃないわ」
安心して、と言いたげに上目遣いで俺を見た。
「子供たちの絵を描きたいの」
「ほう」
「あたしきっと、子供の自分を抱えたままここまで来てしまったのね。それは、どうしようもなく悲しくて自分のことを嫌いなコドモ。そのせいで、あたしにはこんなことが起きちゃったけど……」
「おまえは感覚が鋭くて、器用すぎるのさ」
「……でも、あたし解ったの。私みたいにならなくても、コドモの自分を抱えて生きているオトナって、いっぱい居ると思うの」
「……」
「それが時々イタズラして、うまくやろうとしている自分を邪魔したりするんだけど、そそれは、本当は全然悪いことじゃないの」
「ふむ」
「だから、その子供たちを見つけてやって、外に出してあげる。その子達が生き生きとして、力を取り戻すような絵を描きたいの」
I川の目には、光が宿っていた。
「……具体的には、どんな?」
「まだ解らないわ。私にも、どんなものが出てくるか」
「そうか」
「もしかすると、意地悪な小鬼みたいなコドモかもしれないし」
「怖いなぁ」
「怖いのよ、子供は」
彼女の中で、何かが生まれようとしていた。
それは、幼い頃に失ったものかもしれないし、まったく新しい何かなのかもしれなかった。

「そうか……じゃあ新進アーティスト・I川今日子の誕生だな!……あ、そういや」
「え?」
「おまえの本当の名前、もう知っているんだが、俺はI川今日子で呼ぶゾ」
「……いいよ」
「そう言っておまえは俺の前にあらわれた。だから俺にとっては、I川今日子なんだ」
「うん」
「……だが、I川今日子はおまえのもうひとつの人格だったのか?」
彼女は、首を小さく横に振った。
「ううん。これは、私が考えたペンネーム。……パパが好きだったタレントさんから名前を頂いたの」
「やはり、彼女なのか」
俺は、IP電話の留守電のBGMを思い出していた。
「タテさんの時代でしょ、K泉今日子さんって」
「ああ。俺も好きだったよ。……が、おまえの親父さんにしては、趣味が若過ぎるというか、似つかわしくないな。TVタレントに熱をあげるようなタイプじゃないだろ?」
「うん。テレビはドキュメンタリーとか、あたしに付き合って子供向けの番組を見るくらい。……K泉さんはね、死んだ母にとっても似ている、ってパパが言ってたの」
そうなのか……。
「ある日、テレビ画面で歌う彼女を見て釘付けになったみたい。あたしは、母の事ほとんど覚えてないのだけれど、写真を見ると、やっぱり似てる。目許とか顎のあたりとか……。父はとっても女性にはモテたのよ。遊ぶタイプではなかったけど、支える女性がいつも側にいる感じよ。女性は心が大事だなんて言ってた癖に、顔やスタイルにはうるさくて、あの女性の骨格はどうのとか彫りが深いだのとか、そんなことをよく言っていたわ」
「さすが建築家だ」
「いま思うと2番目の奥さん……あたしを育ててくれた義母ね。あのひとも容姿としては同じタイプかもしれないわ……」
「そういう美のコレクターに、おまえのような可愛い子が出来たのだから、お父さんは嬉しくて仕様がなかったろうなぁ」
相川は長い睫を瞬かせ、顔をすこし赤らめていた。
「周りから、ちょっと甘すぎるんじゃない?って言われるくらいベタ甘だったみたい。あたしも、本当にパパが好きだった……」
彼女は目を伏せて、黙っていた。
俺は、彼女の肩に手を置いたが、涙はこぼれなかった。
代わりに微笑を浮かべて
「あの観覧車の中で、私パパにもういちど本当に遭えた気がしたわ」
「ああ」
「そうしたら、とても暖かく静かな気分になって」
「うん」
「泣き虫の可哀想な子供が見えてきて、それを抱きしめてあげたい気持ちになったのよ……」
「………」
「……タテさん、本当にありがとね」
「いんや、いや。俺も綺麗な女が好きでね。パパと同じだよ」
I川は、すっと透明な目で俺を見た。
「……あのとき、なぜ一緒にゴンドラに入ろうって言ったの?」
「うーん。なんでかなぁ」
俺は苦笑した。
「とにかく2人で中に侵入すればなんとかなる、と思ったのよ。2人の空間にさえしちまえば、と。さぁ、いいから、ちょっと休もうぜ!と若い頃、飲んで口説いてラブホに行こうって懸命な俺っていうか『部屋に入っちまえばこっちのもんだ』ってやってた行為とおんなじ、みたいな……」
「もう! 馬鹿なんだから」
今度は、俺が叩かれた。

「じゃあ、ココを出たら快気祝いをしてやるから教えろよな」
「うん」
「今度は、もうズラさないよな?」
「はい」
考えてみると、まともな場所で話すのはこれが初めてなのだ。
ココも病院だから、あんまり健康的ではない。
俺としては、元気なI川と酒の一杯も飲みたかった。

「ところで、よ。最後にもうひとつ、引っ掛かってることがあるんだ」
「……うん?」
「おまえ、俺と会うのをずっと避けてたろ?」
「………」
黙って頷いている。
「けど、そのいっぽうで俺の事務所に荷物を直接届けたりしてたよな?……それも、何度か」
「………」
黙っている表情が、それを認めていた。
俺の脳裏に、I川を追いかけて走った職安通りが浮かんだ。
「あれは、いったいなんなんだ?……もうひとりの人格の行動か?……答えたくないなら、無理に答えなくてもいいが」
当惑と、後悔の入り混じったような顔色が彼女に浮かんだ。
「……ゴメンね」
「……いや、というか」
「確かに、ストーカーみたいにタテさんのところに行ったのは、もうひとつの私みたいなの……」
小さな声でI川は語りだした。
「でもね、さらにもうひとりの私が、あなたに会っちゃいけないって私を脅していたのよ」
「んん?」
いったい、どういう意味だ?
俺の表情を読み取って、I川は言葉を継いだ。
「タテさん、あなたの……」
「……?」
「声……あなたの声が、パパそっくりなの」
「ええ?」
意外な言葉だった。
俺の声と、I川の父親の声が似ているだと?
「最初、レポートの依頼の電話をしたとき、びっくりしたわ。あまりに似ているので」
「………まじかよ」
「だから初めは、会いたくてたまらなかったのよ。……でも」
「でも?」
「タテさんの容姿は知っていたからね、写真で。顔は父とは違うタイプ。でも会って、生の声を聴いてしまったら、あたしは別の自分が出てきて、どうにかなっちゃうんじゃないかと、怖かった。取り乱してヒドイ態度をあなたに晒すのも、嫌だったの」
「……」
「でもタテさんは面白いひとだったから、遭いたい気持ちも強かった。パパの声をたっぷり側で聴きたいという願望も抑えられなかった。矛盾してた気持ちに耐えられなくて、もうひとりの私が勝手な行動をとっていたのだと思うわ……」
両手を膝に置いて、恥ずかしそうに顔を俯けている。
「……理解できないよね」
「いや、できないこともないが……」
直ぐに俺は、首を横に振った。

なんという皮肉な偶然だろうか。
俺は、I川の美声に惹かれてその電話を心待ちにしていた。
彼女のほうは、俺の声に亡き父の面影をみていたのである。
俺が、想像がつく筈もないことだった。
予想もしない告白を聞いて、運命の不思議な悪戯に翻弄される気分だった

ふっ。
肩から力が抜け、息が漏れた。
「……それにしても、訳がわからず俺はヤキモキしたぜ!」
「ゴメンナサイ」
「いや、今となっては本当に笑いバナシだが。……あっはっは!」
俺は実際、腹の底から笑いがこみ上げていた。
新宿二丁目の事務所で、ほんの最近まで眉間に皺をこしらえて考え込んでいた自分の姿が、思い浮かんだからだ。

「じゃあな、」
I川は正面玄関まで見送りに来た。
「次回は、普通の場所で会おうな。賑やかな盛り場で飲んだり食ったりしようぜ。特殊なシチュエーションは、もう勘弁しろよ」
「遊園地デート希望! って行ったら?」
「げっ。……そうしたら、スタントマンを手配する」
「あはは。退院が決まったら、必ず電話するね」

病院を出て交差点を渡る。
歌舞伎町に戻って、疎かになっている仕事を挽回しなきゃあ……。
陽射しとは違ってまだ少し冷たい風が、排気ガスの匂いを乗せて俺を吹き抜けた。
だがそのなかには、樹々の芽や葉を伸ばそうという新しい季節の息吹が、確実に含まれているのを俺は感じていた。

つづく

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