
date: 2008年05月29日 | text : N島 縦 |RSS|
遊園地の事件から1ヶ月ほど経ったある日の月曜日、
俺は渋谷にあるファッションビル7階の、P劇場の受付前で待っていた。
俺としては珍しいことに、舞台を観ようというのである。
到着を待っていたのは、高木敏光、ライターのO木女史、そしてI川今日子である。
O木女史は、高木敏光や俺と同じ高校の同窓であり、20年のキャリアをもつ日本の代表的な演劇ライターである。
先日の「クリムゾン・ルーム」出版パーティにも駆けつけてくれ、高木敏光との旧交が復活。それ以来、彼女は仕事で面白そうな芝居があると、高木をよく誘うようになっていた。
数日前、高木からふと次回の観劇予定を聞いたとき、俺のこめかみがヒクヒクと動いた。
「あ……それ、俺も観にいっていいか?」
「ん?」
「いや、K泉今日子の舞台なんだろ?」
「あー、そうだよ」
「もうひとり誘いたいヤツがいるんだ」
俺は、I川今日子を誘ってみるつもりだった。
あれから結局、I川とは会っていなかった。
電話では何度か元気そうな声を聴いていたし、2週間前に無事退院したという連絡ももらっていた。
仕事が疎かになっていた数日の間に、いくつか金銭をめぐるトラブルが発生し忙殺され、俺はI川とタイミングが合わずじまいだった。彼女のほうも、例のPR会社で引継ぎ業務と称してけっこうな分量の仕事を振られ、退院直後にも関わらず結局毎日のように出勤する羽目になっているという話だった。
I川のペンネームの由来であり、亡き母に似ているがゆえ父が気にしていたタレントのK泉さん。この時期に、高木敏光を通じて彼女の生の舞台が見られる情報が舞い込んだということに、俺は何か妙味を感じていたのだ。
エレベーターが開き、観客の群れに混じってI川今日子は現れた。
「待ちました?」
「いんや」
すっかり血色のよい顔をしている。
すぐにもう一基から高木とO木女史も現れた。
「おお! なんだよ、I川。心配してたんだぞ」
高木がI川の肩を叩き、I川がぺこりと頭を下げる。
他愛も無いやりとりが続き、それ以上高木は突っ込んだことは言わなかった。
O木女史が先導し、劇場内へ。
先鋭的でひと癖ある良質な芝居を上演することで、定評がある劇場だ。
2日間だけの公演とあって、さほど大きくはない会場は満席。
芸能界の長いK泉さんだけに、客席には名の知れたタレントさんがチラホラを見られた。
内容はフランス現代戯曲のドラマ・リーディングという形式のもの。K泉さん演じる女性ヒロインのモノローグと、M口肇さんのチェロ演奏が舞台上で起こる全て。
椅子に腰掛けたK泉さん演じる女主人公は、手に台本を持ち、波乱に満ちた自身の半生に起こったことを告白していく。
朗読か?というと、ちょっと違う。
かといって演技でもないのだが、感情が昂ぶるシーンでは、K泉さんは時折立ち上がったり手振りが入ったりする。
演劇人がやる「読み合わせ」というのが、こんな感じなのだろうか?
朗読以上、演技未満の微妙なさじ加減がこの形態の面白さなのだろう。
アイドル時代以後、演技派の女優として独自の地位を築いてきたK泉さん、シンプルな上演形態でありながら、実に飽きさせない。
ドラマは、チェロという楽器に過剰かつ変形した思いを抱く女性の、少女から女へ成長していく過程が、裁判の被告席に座っている(のであろう)彼女の独白で語られていく。
通常な精神を逸脱し、時折感情を激しく表すヒロインの言動に、俺は少しハラハラして時折隣のI川を見た。せっかく癒えつつある精神を刺激してしまうのではないかと思ったのだ。
……退院祝いにしちゃ、相応しくない内容だったかな?
しかしI川は、身じろぎもせず真剣に食い入るように観ているようだった。
舞台が終わり、人波と共にロビーに押し出される。
「なかなか熱演だったな、K2は」
「ええ! すごいわ、K泉さんって」
I川は目を輝かせている。どうやら俺の杞憂だったようだな。
「すんげえパワーだな。2時間近く、喋りっぱなしだ」
俺の感想は、まるで素人である。
「ウン、それに彼女、女性の狂気というものをよく解っているわ」
というI川の発言に、俺はコメントが出ない。
「これから、どうすんの?」
O木女史が
「あたしは、K泉さんとちょっと話してくるわ」
と言い、高木も
「おう。O木がK泉さんを紹介してくれるというから『クリムゾン・ルーム』持ってきてんだ。渡してくるわ」
俺は思わず
「えっ。会えんの? 本人に」
と身を乗り出した。
「じゃあ俺も、サインを……」
すると、I川が横から俺のシャツの袖を引いている。
「……悪いよ! そんなゾロゾロ楽屋におしかけるなんて」
と小声で俺をたしなめる。
「しかし、なんてったって天下のアイドル、K泉だぞ」
と俺はなおも未練を示したが、O木女史の冷たい視線と目が合いハッとする。
そう、これは演劇ライターO木女史のお仕事だったのだ。そのお陰で極良の席で鑑賞ができた。知人でもなんでもない俺の出る幕ではない。
O木女史としては、K泉さんが新聞の書評欄を担当していたくらい読書家なので、これを機会に作家デビューしたばかりの高木敏光を紹介して、「クリムゾン・ルーム」を読んでもらおうというのが今回の主旨。いわばO木女史の高木への‘はなむけ’なのだ。
「それも、そうだな。こりゃ失礼、わっはっは」
「まったくタテさんったら」
「ではK泉さんによろしく〜」
俺とI川は、二人に礼を言い、別れを告げた。
やや居住まいの悪い渋谷から新宿に移動し、俺達はたまに行くオイスターバーに行った。いまが旬というわけでもなかったが、南半球を中心に海外産の牡蠣が豊富に味わえる店である。
シャンパンで遅い退院祝いをし、牡蠣に舌鼓をうっていると馴染みの店長が挨拶にくる。
「お、タテさん。誰っすか、その美人。紹介してくださいよ」
「ん? 東京で養殖された秘蔵の一品だ」
「うわー。採れたてですか」
「そう。海のミルクみたいにミネラルや亜鉛がたっぷりだ」
「食べちゃうんすか?」
「いや、食べない。こればっかりは観賞用の牡蠣なんだ」
「じゃあ、ウチの水槽に入れておいてくださいよ」
「いや、貸し出し不可。いくら積まれてもな」
会話を聞いて笑っているI川の頬には、酒のせいかほんのりと赤みが注していた。
他愛もない話で俺はバカ笑いをし、時は過ぎていった。
何気ない時間を過ごしたいという俺の望みは叶ったわけだ。
「ところで、職場に復帰してるんだと?」
「ああ、そうそう。聞いてください、タテさん!」
「ん?」
「あたし退院したら、翌日に退職届けを持っていったんです」
「うむ」
「会議室に最近仕上がったクライアントの新しい駅張りポスターや雑誌・新聞の広告見本が置いてあって……よーく見たら、あたしが企画書段階で出した商品のメインコピーがそのまま使われてるの。それも1社だけじゃなくって」
「あらら、そうなのか」
「『これ、あたしの考えたやつ…』ってポカンとしてたら上司が『ああ、それね。○○エージェンシーの人が、コレいいから使わせてもらおうかなって』『わわ。盗作ですね』
『ま、いいじゃん。お陰でウチも仕事になったし』ってケロっとしてるんです……そういう問題ですかね!?」
「そいつ、俺の会った例のあいつだな」
「そう、そう。ホント売上のことしか考えてないの、彼。根は悪いヤツじゃないんだけど」
頬を膨らませて抗議のポーズをとっているI川だったが、本気で怒っている様子はなかった。
「しかしそりゃ問題だな。その代理店からライティング料を貰わんと」
「ホントよね。……でもいいの。もう辞めるから」
「もったいないなぁ。コピーライターでもイケる、ということが証明されたのに」
「ウン。それが解ったからいいの、もう」
と言ってI川は笑ってみせた。
「年初めから関わっていた大型プロジェクトにもうすぐ目途がつくから、そうしたらお暇を頂きます」
「そうか……やはり、絵のほうへ?」
「ウン、もういちどやってみる」
何か訊きたそうな顔をしている俺を見て彼女は語りだした。
「しばらくの間、あたしスペインや南フランス、イタリアに行ってこようと思うの」
「ふむ」
「父の建築デザインは地中海に面した南欧の建築様式に影響を強く受けていて、若い頃の膨大なスケッチも残っているのよ。そのあたりを旅して、あたしが本当に描きたいものを探ってみたい。……それと」
彼女の目は生き生きと光を宿していた。
「最初にロンドンに寄って、義理の母に会ってくる。そして、今まで言えなかったことを洗いざらい話してくるわ。……あの人だって辛かったのに、あたし悪いことをしてた。ひとこと、謝りたいの」
なるほど、という顔で俺は頷いてみせた。
「で、いつ行くんだ?」
「6月10日の便を取ったわ」
「なに?そんなに早く行くのか!」
急な話で、俺は驚いた。
「……で、帰りは?」
「決めてないの。あたしが納得するテーマがみつかるまで、半年になるか、1年になるか……」
「……そうか」
もともと、こうと決めたら行動の早い女なのだ。
「そうすると、またしばらくはこうやって飲んだりできないな?」
「ウン。でも行きっぱなしじゃないから」
「あたしが帰ってきたら、タテさんは新宿キャバクラの帝王になってるわね」
「なんじゃ、そりゃ」
「そして『クリムゾン・ルーム』はロングセラー、高木敏光は数冊の本を出して流行作家になってるわね」
「おお、そうだ。‘クリ製作委員会’はどうすんだよ?おまえが、いなくて」
「ウン。ほんと心残りだけど、幸い『ササイのことで思い出した』コミュで『情報発信だけなら引き継いでもいい』ってコがいて、こないだE垣さん交えてミーティングしたのよ」
さすがI川、段取りも早い。
「イギリスでも義理のママに相談して、広告とか出版業界の人を紹介してもらうつもり。『クリムゾン・ルーム』を売り込むわ」
彼女には、表面上もうどこにも病んでいる様子が見受けられなかった。
「しばらく続けてみて、絵画なのかグラフィックデザインなのか、どういう表現形態になるかわからないけど、仕事に繋がったらいい」
I川はバッグから、角が多少まるくなった「クリムゾン・ルーム」を取り出してテーブルに置いた。
「この本のお陰で、いろいろなことがあって、今日のあたしがあるわ……。タテさんにも会えたし」
「そうだな」
「……あたしね、装丁もやってみたいの。いつか高木さんの作品のデザインを手がけたい。本当は『クリムゾン・ルーム』を一番やりたかった」
「ほう。試しにラフとか出してみればよかったじゃんか? ……どんなのを考えてたんだ?」
「あたしは、もっとゲームのアイテムを使いたかったの。『針の雨』とか『魂の泉』とか……」
「ふむ」
「いちばん使いたかったのは『柳刃とロープ』のモチーフね。……遊んでみたいわぁ、ロープと包丁……」
「……そこだけ聞くと、まるっきりSMプレイみたいだな」
「あはは、馬鹿ね!」
俺はポンと膝を叩かれた。
「やっぱりタテさんは、歌舞伎町の帝王だわ」
「悪いが、そうらしい」
少し歩き疲れたというI川を、タクシーに乗せるべく俺は靖国通りを目指した。
彼女と歩いていると、いつもピリピリとした緊張感と共に眉間に皺寄せ歩いている街路やネオンが全然違う景色に見えていた。
「ヨーロッパから、時々電話するから」
「そん時はちゃんと時差を考えて、頼むぜ。前みたく午前9時に叩き起こさないでくれよな」
本当はどんな時間であろうと、ちっとも迷惑ではなかった。
「わかったわ。でも、ちゃんと出てね。寂しくなったら‘パパの声’を聴いて元気をもらいたいの」
「俺は、おまえのパパじゃねえぞ」
「わかってる。タテさんは、あたしの大切な人よ」
俺は、そっと軽く彼女を抱擁した。
そして本当のパパがするように、頬に軽くキスをした。
背中に回ったI川今日子の手が暖かだった。
「ありがとう」
「またな」
彼女を乗せたタクシーが走り去った。
ふぅ。
見送りながら俺はチラと、コマ劇場裏ホテル街の方角に思いを馳せた。
……格好つけんのは、俺、やっぱり似合わないぜ!
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